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1.白紙の自由……act.1

雨の降る六月の夕刻。既に日は沈み、周囲は暗闇と雨音に包まれていた。
近くのコンビニで酒と煙草を買った帰り、吉野光佑<こうすけ>はジメジメとした空気に煙草の白煙を吐き出した。
「――?」
ふと、雨音を乱す乱暴な足音を聞き、光佑は音の方に視線をやった。
何かを喚く複数の声が近くなり、不快げに眉をしかめる。
「……って……逃がすな! ガキ一人になにてこずってんだ!」
怒声が聞こえた瞬間、光佑の懐に何かが勢い良くぶつかった。
「っ……?」
「ひゃっ……」
思い切り弾き返され悲鳴を上げて道路に尻を打ったソレは、全身びしょ濡れになった女の子だった。
雨の中傘も差さずに走っていれば当たり前だが、白いTシャツが透けるほど雨に打たれている。
光佑はたいして戸惑う素振りも見せず、少女が走ってきた先から追いかけてくる男達を見遣り、軽く溜め息をついた。
厄介事は嫌いだが、コレを見捨ててしまうのも、後味が悪い。
男達に気付いた少女は慌てて起き上がり、無我夢中で光佑に纏いついた。
「助けてっ……」
悲痛な叫びに、光佑は盛大に溜め息をついて、男達を睨んだ。
「なんか用か、あんたら」
「用があるのはそのガキだ。そいつを渡してくれ」
男達は威圧のつもりなのか、光佑と少女を取り囲み距離を詰めていく。
「断る」
それを一瞥して肩を竦めた光佑は、素早い動作で傘の先端を背後に回りこんでいた男の鳩尾に突き立てた。
醜い呻きと共に、仲間に動揺が走る。
「てめっ……」
「次は誰だ。俺も暇じゃねぇんだ。さっさと終わらそうや」



マンションの最上階。エレベータを降りた廊下には豪奢な作りの玄関が一つきりで、その階がすべて光佑の部屋だ。
強引に引っ張ってきた少女の手首は、簡単に折れてしまいそうに細い。
珍しいものを見るようにキョロキョロと辺りを見回す少女を引いて、厳重な玄関を抜ける。
「そのままじゃ風邪引くから大人しく湯に浸かって暖まる事。服は洗濯機」
バスルームに少女を押し込み、バスタオルとシャツを投げやりドアを閉める。
不満そうではあったが、すぐにシャワーの音が聞こえ、光佑はぐったりと溜め息をついた。
なんで連れてきたのか、自分でもよくわからない。
連れてこられた少女も当然の如く手を引く光佑に不思議そうな目を向けていた。
さっきの喧嘩のせいで濡れた服を着替え、コーヒーを淹れるついでにミルクを火に掛ける。
「……あー……ガキが飲むもんなんてねぇし」
大人一人くらい簡単に入れそうな大きい冷蔵庫の中にはたいした食料が入っているわけでもなく、ビール缶や他の酒類、ミネラルウォーターくらいしかない。
「……この牛乳は……まぁいいか」
とりあえず賞味期限が切れていない事を確認して牛乳パックを冷蔵庫に戻し、温めたミルクをカップに移す。
リビングに戻ると丁度風呂から上がった少女が入ってきた。
「ちゃんと暖まったのか?」
ダイニングテーブルにホットミルクを置きながら訊くと、少女はコクリと頷いた。
少女の姿を見た光佑は面倒くさそうに溜め息をついて、少女の両腕を持ち上げる。
体格差からかなり大きいだろうと思っていたが、シャツの袖を捲くりもしないしないままだらりと垂らしているのだ。
光佑と彼女とでは、ゆうに頭一つ分は違う。
袖を捲くってやり、テーブルに置いたホットミルクを少女に渡す。
少女は受け取ったが飲もうとせず、訝しげな眼差しで光佑を見上げている。
「座れよ。名前は?」
椅子を引いて座るように促し、大人しく従う少女に問う。
少女は少し戸惑った後、おずおずと口を開いた。
「……大野、千紘……」
「俺は吉野光佑だ」
光佑は千紘の頭を一撫でしてそう言うと、千紘の向いに座る。
千紘はホットミルクに満足したのか、心無しか表情がゆるんだようだ。
コクコクとホットミルクを飲む千紘は、結構可愛い。
「歳は?」
「……十四さい」
カップに口を付けたまま上目遣いに答えた千紘の年齢は、光佑が思っていたよりも上だった。
この年代なら年齢と容姿が不釣合いでも珍しいものではないのだろうが、どう見ても小学生くらいにしか見えない。
しばらく黙って千紘を眺めていたが、ある事に気付いて立ち上がり、顎に手を当てて千紘を見下ろした。
「……?」
きょとんと不思議そうな顔をする千紘に、光佑は怪訝そうに眉間をしかめた。
シャツに隠れていない肌にはいくつも、痣のようなものがある。
性的な印象よりも、むしろ、痛々しいものだ。
「お前、どこか怪我してないか? 痛むなら見せてみろ」
千紘の容姿は幼いというよりどこか病的な印象がある。
見える限りで肉付きは悪く、ところどころ骨が浮き出している。
そういう体質なのかもしれないが、先刻の事を考えると、まともな環境にいなかったのかもしれない。
無言で首を振る千紘を睨むように頭から爪先まで舐めるように見て、光佑は諦めたように肩を竦め溜め息を吐いた。
それ以上追求する事に、罪悪感に似た感情を覚えてしまうのだ。
「腹減ってるだろ。出前でいいか?」
千紘は小さく頷き、光佑は受話器を取った。



光佑はテーブルに配達された物を置き、キッチンから皿とフォークを一つずつ持ってきてそれにピザを一切れ取ってやり千紘に差し出す。
「……いただきます……」
千紘はそう言うと、フォークをグーで握ってピザをつつきはじめる。
光佑はフォークの持ち方に少し呆れたが、食べ方もどことなく幼いようで、光佑は観察をやめてビールを飲んだ。
「ごちそうさまでした」
満腹になったおかげか機嫌の良くなったらしい千紘に、光佑は密かに苦笑した。
「もういいのか?」
二切れしか食べていないが、千紘が頷いたため、光佑は残りのピザを消化する事にした。
「今日はもう寝とけ。俺のベット使っていいから」
光佑はそう言うと自分の部屋を指差す。
「……でも……」
自分が使っていいのか、という千紘の意図を理解して、光佑は千紘の頭をクシャっと撫でて言う。
「おとなしく寝りゃいいの」
それでも千紘は何か言いたげに光佑を見つめたが、まったく意に介さないの光佑に、少し戸惑いながらも頷いて寝室に向かう。
千紘がドアを開けて光佑を振り返ると光佑はひらひらと手を振った。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
千紘は照れたように頬を赤くして、逃げるように寝室に入った。
扉が閉まるのを確認し、光佑は溜め息をついた。
「変なもん拾ったな……」


ガタガタッという物音に、ソファで寝ていた光佑は起き上がって怪訝そうに寝室の扉を睨みつけた。
一向に音が止む気配はない。
一瞬、自分がソファで寝ている理由も忘れて何事かと考えそうになったが、すぐに千紘の存在を思い出す。
なぜか不快を訴える頭を無視して、光佑は寝室のドアを開いた。
「千紘? ――――!?」
ドアを開けながら言った光佑は暗闇の中でもわかる程荒らされた部屋に唖然とする。
だがすぐに我に返り、眼を凝らして千紘を探す。
千紘は床にしゃがみ込み息を荒くして頭を抱え、まるで何かに怯えるように全身で震えていた。
「千紘!? どうしたんだ、大丈夫か!?」
光佑は千紘に駆け寄って肩を掴んで何度も問うが、一向に震えは収まらず、光佑の呼びかけに何の反応も示さない。
それどころか光佑にすら怯えているようだった。
「……ヤ、ダ……こわ…い……」
白昼夢でも見ているのような焦点の合わない千紘の瞳に、頭の中の不快感の正体が鮮明になり、光佑は咄嗟に千紘を抱き締めた。
「大丈夫だ、俺がついてるから……俺が守ってやるからっ! だから、だから落ち着け」
光佑は何度も大丈夫だと繰り返し、言い聞かせるように言う。
荒かった呼吸はだんだん落ち着いていき、震えも収まっていく。
それに気付いた光佑は抱き締めていた腕の力を抜いて、やさしく頭を撫でてやる。
「…大丈夫だから」
だいぶ落ち着いて、千紘は恐る恐る光佑の顔を見た。
涙を溜めた瞳で救いを求めるような千紘は、今にも消えてしまいそうなほど儚く脆い。
光佑は千紘を抱き上た。
「あ……ぇ、え?」
いきなりの行動に動揺し、千紘は咄嗟に光佑の服の袖を握った。
光佑はベットの上に散乱していた物を足で適当に払って千紘を寝かしてやると、枕元に腰掛けてあやすように頭を撫でる。
くすぐったそうに目を細めた千紘は、ふと視界に入った部屋の惨状にハッとした。
「あ、あの……私……」
「怖い夢でも見たのか?」
遮るように言って優しく微笑む。
「安心してもう寝な。俺が傍にいてやるから」
千紘は不思議そうにきょとんとしていたが、すぐに睡魔がやってきたのか、頭を撫でる光佑の手に擦り寄るような動作を見せる。
それでもやはり不安なのか、必死に睡魔と戦っている様子の千紘に光佑は苦笑いし、同時に妙な感覚を覚えて、背を屈めた。
優しく触れる程度に、唇が触れる。
しばらくして、ようやく完全に安心したのか、静かな寝息が聞こえてきた。
苦笑した光佑は、規則正しい呼吸を繰り返す千紘の額に口付けを落として、ゆっくりと上掛けを引き上げた。
「本当に……変なもん拾ったなぁ」
呟いた言葉ほど、後悔していない自分がおかしかった。


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