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1.白紙の自由……act.4

「あら、可愛い子」
彼女の開口一言目がそれだった。
「でも今まで若のそばにはいなかったタイプの子じゃない?」
不躾なほどにしげしげと見下ろされ、千紘は光佑の後ろに隠れるように下がった。
光佑に拾われて以来、千紘には初めての外出だ。
家の外に出る必要がまったくなかったため、千紘の着る服はダボダボとした光佑のTシャツとハーフパンツしかない。
光佑が気にしなくて良いというのであまり気にしていなかったが、場所が場所なだけに今は恥かしい。
光佑自身は仕事に行くため、しっかりとスーツを着ている。
「昨日連絡したとおりだ。今日の仕事が終わるまで、千紘の相手をしてくれ」
光佑に背を押されて前に出た千紘だが、相変わらずしげしげと眺めてくる視線に、俯くことしか出来ない。
背の高い女性で、きっと誰から見ても『美人』という部類に入るだろう。
「もぉ。こんな可愛い子にこんなセンスないTシャツ着せちゃ勿体無いでしょ。自分が服に興味ないからって」
「るせぇよ。だから適当に見繕っておけって言ってんだ。金は帰る時払う」
ここは小さくも大きくもないくらいのブティックで、どうやら彼女はこの店の店主らしい。
まだ朝という事もあって、今は二人の店員が開店準備に追われている。
千紘はずっと施設院で暮らしてきたため、施設から出た事はほとんどない。
しかし、目に映るもの全てに好奇心を持つほど積極性がなく、居慣れない空間に不快感に似たものを感じる。
ここに置いていかれるのかと思うと不安で、千紘は無駄だとわかっていても、光佑を見上げた。
不安そうにする千紘に、光佑は優しく笑って頭を撫でてくる。
「出来るだけ早く終わらせて迎えに来るから、それまで好きな服選んでな。帰りは夕飯食って帰ろう」
本当は嫌なのだけれど、光佑に言われると頷くことしか出来ない。
光佑があやすように千紘の頭を撫でていると、店主が大袈裟なくらいに驚いた。
「ちょっと…………どうしちゃったの、若。まさか別の人格が!?」
「黙れ、智哉」
瞬間に冷たい低音が言って、彼女は危機感から咄嗟に両手で口を押さえて数歩退いた。
けれど、何か癇に障る事があったのか、今にも怒鳴りたい衝動に駆られているらしかった。
「わ、若…………あのねぇ」
「なんだ、言いたいことがあるなら言ったらどうだ? 後生の保障はしねぇけどな」
にやりと口端を歪める光佑に、彼女は口を噤んだ。
会話を紛らわせるため、店主は千紘の前にしゃがみ込む。
「あたしは緒奥智美(しょおくともみ)。今日一日仲良くしましょーね」
「しょおく……?」
千紘は首を傾げた。
確か昨日、志気が世話係は緒奥という『お兄さん』だと言っていた気がする。
聞き間違えたのかもしれないと思った千紘だが、光佑がその疑問に答えてくれた。
「そういえば昨日は志気だったけど、ホントは緒奥拓哉ってのがお前の世話してくれるからな。こいつの兄貴だ」
「は? 拓兄を世話係にしちゃうの? 若の寵愛ぶりもたいしたもんねぇ」
智美は感心したように言ったが、何かを思いついたように千紘をじっと見て、その頭を抱き寄せた。
「まだこんなにちっちゃいのに…………こんな冷酷無比な男に弄ばれて」
「誰が冷酷無比だ、誰が弄んだって?」
「だって、まだ中学生なんでしょ、この子。見方によっちゃ小学生にも見えるわよ? この犯罪者」
言われて、光佑は千紘を智美から引き剥がして後ろにやると、剣呑そうに双眸を細め、口端を吊り上げる。
「お前もチャレンジャーだな。いっぺん地獄でも見てみるか? なんなら特別に、タダで逝かせてやるぜ?」
「い、いやねぇ若、たんなんる冗談なのに」
智美は額に冷や汗を浮かばせながら後退していく。
そんな彼女を捕まえ、光佑は声を潜めて千紘に聞こえないように言う。
「あんな子供に手ぇ出すほど、相手に困ってねぇよ」
「え、じゃあまだ何もしてないの? キスも?」
「…………それ以上余計な事言ったら正彦の分も含めて拷問でもかけてやる」
二度続けて墓穴を掘ってしまった智美に対する光佑の目は、その眼光だけで人を射殺せそうなほど凶悪だ。
智美は誤魔化すように笑い、わざとらしく光佑の左腕を取る。
「あらっ、若、新しい時計? 今度はドコの? またお高いの買っちゃったの?」
「コレは安いぞ、38万。前のは質は良いけど扱いにくかったしな」
「…………あたしなんて…………何が安いってのよ……」
智美の手を振り払いながら、ふと光佑が千紘を見遣ると、驚愕の色で光佑の時計を見上げている。
「どした?」
「えっ…………なっ……なな、なんでもっ」
いつもどおりただ首を横に振るだけなら疑われることもなかったかもしれないのに、今に限ってあえて声を出して口篭ってしまった。
自分の失態に慌てて口を塞ぐが、光佑は恐いくらいの笑顔を向けてくる。
「そういう否定の仕方は、余計気になるなぁ」
「な、なんでもないっ。……おっ、お仕事は?」
光佑が仕事に行く事を嫌がっていた千紘がそんな事を言って、光佑は首を傾げて訝しんだが、確かにそろそろ行かないと仕事に間に合わない。
「まぁいいか。いい子で待ってろよ?」
「うん」
光佑は千紘が頷いたのを確認すると、智美の襟首を掴んで声を潜めた。
「千紘に変な事吹き込みやがったらタダじゃおかねぇぞ」
「も、もう、わかってるってば若。しーっかり、面倒見させていただきますからっ」
「当たり前だ」
智美から手を離し、光佑はもう一度千紘の頭を撫でると急いだふうで店を出て行った。
それを見送った千紘が智美を見上げると、なぜだか気分が悪そうに額を押さえている。
千紘は首を傾げた。
「…………大丈夫ですか……?」
「ええ、大丈夫よ、ありがとね。……あー、もう…………昔の可愛らしい光佑お坊ちゃまをあんなに不良にしてくれちゃって。これだから……」
独り言のように、けれど明確な相手に対して、恨みがましく言った。


正午を少し回った時刻、千紘は店の奥のスタッフルームでぐったりとソファに身を預けていた。
「千紘ちゃん、大丈夫?」
おっとしりた声で問いかけてくるのは店員の秋奈という女性だ。
「ごめんねー。店長、悪気無いんだけど、可愛い子の着せ替えが趣味なの」
智美をフォローする秋奈に、千紘は力なく頷いた。
別に何をされたというわけでもなく、智美の着せ替え人形にされてしまって疲れたのだ。
客は途絶える事無く入っているのだが、客そっちのけで千紘の服をあれこれ選ぶ。
結果、朝から正午前まで、数十回の着替えを要さねばならなかった。
その中にはもちろん下着も含まれていて、さすがに客に見られるようなことはなかったが、それでも恥かしい思いをした。
「なんかね、店長の着せ替え好きは若さんが小さいときからだったみたい。美少年だったんだって」
「…………あの……若さんって……?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
智美も言っていたが『若』とは光佑の事なのだろうか。
「店長がいつも吉野さんのことそう呼んでるから、うちのお店ではみんな『若さん』って読んでるの」
むしろ、なぜ『若』なんだろうか。
「店長曰く、別にご主人様じゃないけどお世話になってるから、らしいけど、よくわかんないよねー」
同意を求められて千紘はコクコクと頷いた。
だいぶ体が軽くなって起き上がると、タイミング良くもう一人の店員、翔平が扉を開いた。
「昼飯」
彼は短くそう言い、出前の袋を軽く持ち上げた。
「今日は随分豪華なんだね。千紘ちゃんが居るから?」
「あの人の預け物だからな。いつものカップ麺は出せないって事だろ」
秋奈が袋を受け取りテーブルに中身を広げていくと、透明なパックに入ったサラダや寿司、牛丼やパンケーキなど、種々様々なものが出てくる。
広げている秋奈とそれを持ってきた翔平の二人は訝しげにそれを見る。
「なに? この取り合わせ」
「知らん。店長がどっかの店に注文して届けさせたヤツらしいケド」
俺は店長から受け取っただけ、と翔平は言った。
二人がどうするべきかテーブルを眺めていると、智美がドアからひょいと顔を出した。
「お昼ね、千紘ちゃんが食べたいもの食べて、残り物を店員が食べる。わかった?」
「そう言う事は先に言ってくださいよー。店長が血迷ったのかと思っちゃったじゃないですか」
「ごめんごめん。でも味はあたしも若も保障するから、安心して」
そう言い残し早々に店に戻っていった。
それを確認した二人の店員の視線が同時に千紘に向けられる。
千紘はきょとんと首を傾げた。
「好きなの食べて良いって。どれでもいいよ?」
おっとりとした笑顔で促される。
千紘はテーブルに並んだパックを眺めていったが、肉類はあまり食べる気はしないし、食欲のわくものは一つしかない。
一分も悩まず、千紘はソファーから降りてパンケーキを取った。
「それでいいの?」
秋奈の問いにコクンと頷き、パイプ椅子に座った。
いざ食べようとしたが、パックにはプラスチック製のフォークがテープで貼り付けられていて、取れない。
テープを剥がそうと爪で引っ掻いてみても、昨日光佑に爪を切られたばかりで、中々引っ掛からない。
「秋奈、やってやれよ」
入り口近くでそれを眺めていた翔平が、千紘の行動が可愛くて見守っていた秋奈に呆れて言う。
「やってあげるから、千紘ちゃん」
秋奈は千紘の手元からパンケーキのパックを取って、フォークを剥がし、シロップをかけたりして食べられる状態にして千紘に返した。
千紘は嬉しそうに笑って、グーでフォークを握る。
「いただきます」
パンケーキはあらかじめ小さめの一口サイズに切られているし、味も光佑の作ってくれるものを良く似ている。
千紘が一口食べて飲み込むと、それを眺めていた二人は残っているパックに視線を移した。
「俺は牛丼」
「じゃあ私はカツサンドとサラダにしよー」
二人はそれぞれ取り、秋奈は休憩時間なのでパックを開け、翔平は油性マジックでパックに『翔平』と書く。
「……腹減ったな、精神的に」
「あと一時間がんばれー」
自分の牛丼を見下ろして少し切なそうに溜め息をつく翔平に、秋奈は嫌味も含んで手を振った。
翔平が店に戻った後、少しして智美が休憩に入ったようで、スタッフルームに入るなりテーブルに残ったパックを品定めする。
「じゃ、あたしはあまりモノを片そうかしら。秋奈ちゃん、そのサラダおいしいのよ、少し分けて?」
「いいですよ」
おっとりした笑顔で頷いた秋奈に、智美はがばっと抱きつく。
「秋奈ちゃんたら可愛いんだから!」
日常茶飯事の事のようで、秋奈はするりと智美の腕の中から逃れる。
少し落ち込んだふうを見せる智美だが、すぐに余った数個のパックに手を付け始める。
とはいっても、余っている数は軽く二人前はありそうなのだが。
「千紘ちゃんパンケーキ? 若の言った通りね」
千紘がフォークをグーで握って食べているパンケーキを見て、智美が言った。
千紘が首を傾げると、昼前にあった光佑からの電話の内容を教えてくれた。
「若が知り合いのコックに頼んで色々作らせたのよ。でも千紘ちゃんはパンケーキを選ぶだろうなって若がぼやいてたわ。お肉とか、食べなきゃダメよ」
そう言って、自分が食べていたハンバーグをひとかけら差し出してくるが、千紘は数秒それを見て、すぐに首を振った。
魚肉は好きだが獣肉はあまり好きではない。
千紘に餌付けする事を諦めた智美は話題を変えた。
「そういえば、千紘ちゃん若の時計見て驚いてたけど、あれなんだったの?」
智美の言葉にぎくりと身体を震わせ視線を彷徨わせる千紘は、誰から見ても何か隠している。
「若には言わないから、教えて。ね?」
ものすごく興味津々な二人の目を向けられ、しばらく押し黙っていた千紘は渋々、小さな声で言う。
「…………踏んで……投げちゃった……」
八つ当たりになるのかもしれないが、千紘にはそうせずにはいられない理由があった。
曰く38万円の時計が、光佑が一度外してソファに置いたまま忘れて床に転がっていた。
それを運悪く千紘が素足で踏んでしまって、あまりの痛さにしばらくうずくまり、転がっていた時計が原因だとわかって思わずソファに投げつけてしまったのだ。
幸いにも、時計が頑丈なのか千紘が踏んでも傷の一つも入らなかった、らしい。
「大丈夫大丈夫。千紘ちゃんなら、1千万の高級車をヘコませても許してもらえるわ」
重要そうでも無く、食べながら智美が言った。
ちなみに、千紘はお小遣いをもらった事が無く、一番豪華だと思い込んでいたご飯はオムライス。
そんな千紘には、38万だの1千万だのという金額は、想像する事も不可能な大金だ。
「……あの人って……お金持ちなんですか……?」
おずおずと訊くと、智美はきょとんと不思議そうに首を傾げる。
「聞いてないの?」
千紘は即座に頷いた。
確かに光佑の住むマンションは不必要なほど広く、十二階建ての最上階。
しかも、今日家を出てくる時に初めて気付いたが、最上階には光佑の部屋以外ない。
「本人が言わないならあたしも詳しいことは教えてあげられないけど。ていうかあたしも、ホントのところはよく知らないの。若が五歳の時まではよく遊んでたんだけどね」
「若さんが五歳ってことは店長六歳ですよね? そんな小さい時から着せ替えしてたんですか?」
口を挟んだ秋奈に智美は当然のごとく頷き、昔を思い出しながら陶酔したように語る。
「そりゃあ、着替えさせる服はいっぱいあったもの。今は口の聞き方も悪いけど、昔は大人しくって……仔犬みたいな子だったわ」



昼食後の着せ替えから開放され、千紘はスタッフルームのソファで紅茶を啜っていた。
疲れて眠そうに瞼をこする千紘の耳に、ドアを挟んで怒鳴り声が響いた。
「遅くなったな、千紘」
粗雑に開かれたドアから入ってきたのは、眼鏡をかけて不機嫌そうに眉間を寄せる光佑だった。
千紘はその様子にびくりと肩を震わせた。
営業中の店内で怒鳴り声を上げたのは光佑なのだろう。
光佑の後から見知らぬ青年と、至極ばつの悪そうな智美が入ってくる。
眼鏡をしまって、光佑は怯える千紘を安心させるように少し笑って頭を撫でた。
「怯えんな、お前の事怒ってるわけじゃないから」
千紘に向ける感情は優しいのに、言葉には妙に棘がある。
自分が何か癇に障るような事でもしてしまったかと心配して頷けずにいる千紘に、光佑の後ろで畏まっていた青年が小さく腰を折って微笑んだ。
「少し疲れていらっしゃるだけですから、心配はいりませんよ」
青年のその言葉を体現しようというのか、光佑がぐったりと首に腕を絡ませてくる。
「疲れたってのはどうでもいい。腹減ったな」
ぐぅ、と腹の音を口に出す光佑からは、疲れているような気配は感じられない。
額を合わせるようにして覗き込んでくる顔も、いつものように優しい色しかない。
「バカが加減もなしに着替えさせまくったんだって? 悪かったな、疲れただろ」
まだ眠そうな気配の残る千紘の目許を撫でられて、千紘は小さく首を振った。
「…………疲れたけど……楽しかった」
初めての事には戸惑ったが、それでもやはり女の子で、たくさんある中から色んな服を選ぶのは楽しい。
そうか、と光佑は優しく笑って、諸奥、と後ろに向かって呼んだ。
「見繕った物、どれか一着持って来い。飯食いに行く」
すると智美だけでなく青年も心得たように服を取りに行った。
「……あの人は……?」
「ん? あぁ、諸奥拓哉。今度から俺が忙しい時はあいつが面倒見てくれるからな」
首を傾げた千紘に答えながら、光佑は千紘をひざの上に座らせて頭に顎を乗せた。
「気に入った服はあったか?」
こくん、と頷くと、よかったな、と優しい手が髪を撫でる。
おとなしく撫でられていると、少しの沈黙の後、ぼそりと光佑が漏らす。
「…………足りない」
「え……?」


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